5. 時代に整合した趣味の指導は、先生であってはならない

初心者が講師に対し、先生という。

教わる立場の方が敬意を払う気持ちは尊い。然し、人間、食や自然を見る感覚は12,700万人全て固有であることを忘れてはならない。

ミルクなど無い時代、乳の少ない母親が乳の豊富な婦人の貰い乳をした。
乳飲み子は貰い乳にむしゃぶりつき満腹になり、そして泣き喚く。
自分の母親の乳であれば満腹になると気持ちよさそうにウトウトする筈であるのに泣く。
それは、何かが違うと悟り異常を訴えるのであり、むなしさで泣くのだと思います。乳飲み子と云えども一人の人間であることを認識すべきであると考えます。

各々固有の感覚、感情、感性を尊重し、その中で成すべき指導教育の理念の自覚と何故小品盆栽なのかの哲学が求められるはずです。

時代が求める指導者とは、先生や師匠ではなく。共に学ぶ友でありテーマによってはセクレタリーである。セクレタリーは、自己の思い描くビジョンに賛同する若人を利己に流れず冷静に誘導する水先案内人でなくてはならない。