プチ盆栽日記の活用アーカイブ

私の資料活用に付いてお願い

私の資料は、全て「参考」です。

地域、管理場所、管理時間、トラエ方等諸条件が異なります。即ち、異なっているのがむしろ正しいと思うことが盆裁を更に楽しくします。
異なりから教えられることも無数にあり、上手下手で区分は出来ません。

20年程前です。80歳位の吉野さんと言う方が五葉松の実生数十本を2号鉢で育てておりました。
私には、何の変哲も無いただ細く真直ぐな五葉松にしか見えませんでしたが、古さがありましたので手に取り見せて頂き、元の位置に返したつもりでした。

すると吉野さん、鉢の位置を微妙に変えました。聞くと、わしは、「自然を創りたい」何十年も鉢の位置や方向を変えず、野山の自然を忠実に表現したいと云うのです。

自分の未熟さに愕然とし、顔が真っ赤に火照りました。正に、盆裁の素晴しさと、人はすばらしい生き物であることを実感させられことは、忘却できません。

又、各資料を編集して一冊の本にしては、と、云われますが私には出来ません。
盆裁は培養条件の異なりや培養技術、技能開発、薬剤開発、用具開発等進化のスピードは私の想像をはるかに超えております。
更に、私自身も常に新しい思考を善と考えており、一冊の本でお茶を濁す様な無責任なことは、到底出来ません。

要は、昨日私の云ったことや報告したことは、今日には、古い事例となっていることが多くあります。
昨日とは一歩でも、前回とは半歩でも進歩しようと思いながらおりますので当然であります。

よって、それぞれの資料はあくまでも参考であり、より多くの皆さんが実践した事例交換こそ盆裁仲間の理想と考えます。

庶民芸術としての盆栽

私の盆裁感は、庶民芸術と云えども芸術に変わりはないものと考えています。
芸術文化は、文明やスポーツ文化等と異なり、ルールごとは一切無く、自由な発想や豊かな想像を育み、探求を楽しむものと考えます。

私が盆裁に求めたものは、「新たな創造」であり、万人等しく自由奔放な時があるからこそ、世の荒波にも立ち向かえ、進化し続けられるものと信じるからです。
絵画は、才能が必要です。盆裁は、我々凡人にも出来る創造グッツ最適品と考えます。

【ルール有無による類型】
芸術・文化ナシ自由であり、何をやっても、どんな下手な絵や字と描いてもとがめられることは一切無く、当然、どの様な盆裁を創ろうともその方の勝手です。然し、ルールが無いからこそ、多面的見識の中の更なる進化や創造を第三者が評価するものと考えます。
文明アリ如何に利便性が高く、世の中の発展に寄与しても、フェールセーフでなくてはなりません。これを無視すると物理学者ボーアの悲劇、核兵器誕生でしょう。
スポーツ文化アリ基本的にルールが前提条件です。但し、ルールを創りながらゲームを作ること自体は芸術かも知れません。
各ゲーム等アリ同上です。