かわいい盆栽(Pretty Bonsai)世界を変える

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私は、小品盆栽の原点が可愛さにあることを長いこと忘れており、それを思い出させてくれたのが、朝日新聞「再生、新生『カワイイ』世界に風」市川美亜子、沢村亙両氏の記事でした。

経験を積むに従い、やれ振りだ、絞りだ、果ては侘びだ、寂だが先行してしまい、本来、小品盆栽に求めていた「可愛さ、可憐さ」をどこかへ押しやり、素朴に盆栽を始めとしている初心者を遠ざけてはいないだろうか?

この記事は、最近盆栽展へ外国人の入場者が増加している理由を教えており、日本人は物づくりのハード文化だけではなく、ソフト文化を世界に発信したとき、真の信頼を得ることが出来ると言っている。

明治以来、日本も陶磁器、絵画等々多くのソフト文化を提供して来ましたが、その対象は一般大衆(パブリック)では無かった様な気がします。

その点、近年「まんが」が各国の子供達に浸透されつつある事はうれしいことであり、日本が世界のパブリックを対象に発信した、初めてのソフト文化はこの「まんが」の様な気がします。

文明は体で感じ、文化は心で感じるものといわれ、その国の国民が自国の文化と融合させてこそ定着であると考えます。特に冬の長い北欧などの国では、家の中にも飾れる盆栽は強い憧れを抱いている様です。

笑い話になりますが、私の息子が5年程ボストンに留学しておりました折、
「"お前は日本人だから盆栽を教えてくれ"と言われて参ったよ。少し覚えておけばよかった」
と言っていました。
外国人には、日本人なら誰でも盆裁をやっているもの考えられている様です。

然し、今でも息子は、盆栽には見向きもしませんのは、小品盆栽の普及を言いながら自分の子供にさえ伝承出来ない現実を反省しております。

その罪滅ぼしではありませんが、盆栽をはじめたいと言う方がおりましたら自分の経験したこと全てを、教えさせて頂きたいと考えております。

世界に誇る市民芸術に「Bonsai」に「Pretty」を加えた「小品盆栽」は、世界に胸を張って輸出できる日本のソフト文化の代表と考えます。

その理由、「可愛い」と思った時の感情に怒りや憎しみの存在はなく、「可愛い=小さい」が一般的である。
即ち、「可愛い」と思う感情の回数がおおければ多い程、温和な人間が形成されるはずである。

小さな盆栽が数多く、いろいろな樹種がある家庭環境は最良であり、争い等あるはずはないと信じています。

しかし、争いが絶えないのは「可愛い」さが「美しさ」や「凄さ」に変化していくからであり、この変化を止めることは出来ず、又、とめるべきではありません。

それは、可愛い幼女がやがて成長し、成熟し、男どもの争いの基となっていくのと同じであり、可愛さは人に和みを与えるものの、美しさや凄さは感動と共に羨み、嫉み、諦め等を共有しており万物これを防ぐことは出来ないことだと思います。

要は、小品盆栽を通じ、老若男女いくつになっても「可愛さ、可愛げ」を持ち続け、和みを得、又、与えることであり、争いのない平和社会構築のために、小品盆栽の果たす役割は大きく「Pretty Bonsai」世界展開は日本人の責務と考えます。