プチ盆栽の魔力 「がんの宣告を受けた今も」

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一、肺がん宣告

私の盆栽との付き合いは、今年で三十六年となった。
唯、盆栽好きな奴である。
当時は、空前の盆栽ブームであり、私も人に誘われるまま盆栽にのめり込み、縁日盆栽めぐりを繰り返していた。

良い盆栽をつくりたい気持ちはあっても良い樹とはどの様なものかも解からず、ただいじり回す毎日であったが、創造と狙いに近づく様(離れるものも多くあった)は、全て、自分の意思でありとにかく楽しかった。

経験年数と共に、サイズは次第に小さくなり、又、少しでも意表を突いた木つくりをしようと、試行錯誤を重ねた今、いっぱしの盆栽愛好者であると、勝手に思い込んでいたのだが、今回、盆栽には、次元の異なる力があることに気付かされたのである。

それは、九月十二日、静岡県立がんセンターでの精密検査結果、「悪性の肺がんレベル3b」とのことである。
レベル3bとは、肺に出来たがんが、既に肺の外まで転移しているとのことであり、手術は不可能と宣告されたのである。

然し、意外と冷静に受けとめることが出来、歯切れの悪い医師の言葉を即したり、妻のうろたえる様とをたしなめたりするのである。
宣告に至るまでの経緯は、四月に実施した町の健康診断で、肺に影があるので再検査せよとの連絡が来た。

特に自覚症状も無いので病院の都合にあわせ八月二〇日に再検査実施。
CT結果を見た医師の慌てようは、尋常でないことを伝えていた。
そしてがんセンターの結果も大きな差はないと予測出来たのである。

さて、死ぬまでに何をすべきかと考えた。

①友人から預かっている盆栽は、引き取って頂く。(未完成がやまれる)
②各展示会の展示席指導と展示要請のキャンセル。
③友人宅訪問予定のキャンセル。
④三千鉢のこの子たちの処遇。

一~三は、それぞれお願いして引き取って頂たり、展示品席は仮設台を製作し、依頼された方の席飾りを決定。
友人宅訪問計画も全てキャンセル出来たが、四番目、三千鉢の子供たちである。

私の盆栽棚には、五年以上のものは数える程であり、殆んど挿し木や根伏せを中心とした一~三年生の、いわゆる種木と云うものである。

よって、本鉢で持ちもまれた盆栽と異なり、日々の変化が激しく目が離せない、正に母親が乳飲み子を育てるのと同じであろう扱いが要求される幼児期盆栽のためである。

サラリーマンには出張は付き物とは云え、樹の成長期、出張は妻も私も重苦しい空気が流れる。
同じ鉢でも一週間過ぎると乾燥速度が変わることがあるなどと、妻に理解させるのは可哀そうである。
然し、出張から帰ると妻と口を利かない日が増える。
判っているのだが。

それはともかく大切な事は、肺がんと云う始めての経験を無駄にぜず、意識のある限り経過を書き綴り、参考にして頂くことにある。

二、家族への報告と要望

九月二十一日(日)三人の子供を呼び寄せ肺がん及びその進行度を報告する。
娘の延子は、涙を流したが息子ら二人は気丈に聞いてくれた。

・報告の件
①脳血栓により、十数年の闘病生活を送った父正美に対し、家族が負った負担を考えると、肺がんである事は、むしろ幸いと考える。
②死んでいく自身は、送る人より以外と冷静である。私は、天国や地獄に行くのではない。
自然に帰るのである。
(南部の弥一兄さんもそうであつた)死に対する、恐怖をあおり人間は特別であり、御世の世界へ何とかと云々し、何々教等を論じる手合い、それを金にしようとする○○教や○○宗に幻惑されてはならない。
草木を始めとするあらゆる生命体と同様、人の死も自然(土)に帰ることであり、それが死に向かう心構えと考える。
尚、死に際し、いろいろな宗教や情報に傾倒する話を聞くが、我が家では、決してその様な非科学的ことの無い事を望む。
死は、自然の営みである。仕事も趣味も理論に基づき実行してきた。

・要望の件
私の死後、実施して欲しいこと及び了承して欲しいことは、下記の通りである。

①妻ふじ子が一番心配である。それは、十八歳で私と結婚を決め今日に至っている。
 即ち、制約の無い社会生活を送った経験はないに等しい。仁が中心でフォローのこと。
②当面、正月、五月の連休、お盆は帰省し、母ふじ子の生活リズムを崩さないこと。
③仁が、嫁さんをもらった場合、嫁、姑の関係は、上手くいくとは限らない、この時、延子と勉は、仁の嫁さんが立ち行くにはどうすべきかを思考し、母ふじ子に諫言する良識を持つこと。
④母ふじ子に対し、③以外の事項に付いては全面的支援のこと。
⑤皆、過ちはある、再犯をせず、過ちを分析し活用すること。
⑥問題解決は、仁を議長に論議の上、社会通念に即した行動をすること。
⑦私の葬儀及び戒名等は、可能な限り質素であること。
⑧墓参り等、非合理な行動は、最小限にし、目標を持ち常に向上しようとする意識で生活すること。
 「悔いの無い人生とは、向上心を持った日々の行動にある」と考える。
 思い出も浸るのではなく、向上させるための振り返りであること。
⑨趣味の盆栽を始めとする、自己中心的な家庭運営であったことを詫びると共に反面教師とする様望む。
⑩「良い影響を与えた数が、生きた証である」格言忘却なきこと。
⑪盆栽及び関連品は、不要であれば遠慮無く、全て処分せよ。

皆と家族を構成出来たことを嬉しく思うと共に、悔いの無い人生であり、大いに満足している。


三、別れ

さて、この子たちの扱いをどうしょう。
一週間一コースの治療を四コースを目標で実施するとのことである。
樹木が秋伸びする今、水だけくれていれば良い訳ではなく、到底妻に出来るものではない。

ある程度、経験のある方で時間の余裕がある方でなければ、成長期の針金かけ(〇,七粍アルミ線)と食い込み状態にあわせてアルミ線を外す作業は、この子たちプチ盆栽の一生が決定される重要作業と認識しているからである。

熟慮に熟慮を重ね、盆栽友達が要望するものは、譲り、その他は、長年の付き合いである静岡市の苔聖園さんに処分をお願いしようと云うことに決定し、九月二十四日引き取りをお願いした。

九月二十二日急遽病室が空いたので入院する様、がんセンターから連絡が入ったため、苔聖園さんには、無理にお願いして二十三日に引き取って頂くことにした。
つらい別れであるが最も樹のために良いと判断した。

二十三日入院前日、情報を得た友人、知人が多く押し寄せてくれた。
中には、出社後情報を得て浜松から駆けつけてくれた仲間や、初めて訪れてくれた方々、メールや電話で頑張れの声援を頂いた方々、全て、盆栽を通じての友知人である。

方々の一部を紹介しますと元市議会議長、自動車ユニット部品製造会社社長、某大手保険会社部長、某大手電気メーカーソフト開発課長、裁判所一等書記官、元JRダイヤ運行シュミレーター等々多岐にわたる方々との出会いと親交は、盆栽なくして在り得ない友人であり、電話相手の止まぬ泣き声に感謝しながら、盆栽の凄さを痛感したのである。

日頃、不摂生の限りを尽くしている私を見ている長男等は、肺がんだとさと話したところ、あまり驚きもせず「ふーん」である。

この様な多くの仲間を引き付けてくれた、プチ盆栽の魔力。
他の趣味では味わえない不思議を感じる。何故だろう?

小品盆栽は、飾るまでの培養や整姿等の楽しいものであるが私は、「飾る」ことこそが小品盆栽の、最も楽しく充実感を覚える時である。
それは、小品盆栽は樹木の一本で見ることより、複数の樹や草及び石等関連グッツを使った情景表現と心得る。
人に感動を与える情景は、見る人よって千差万別であり、多くの人に共通する背景、物語や主人公を創造し、多面的盆栽つくりが必要とされこれが又、楽しい。
小品盆栽の飾りは、立派な樹でなくても情景力点や主人公を引き立てるキャラクターは、演出に欠く事は出来ないものである。

「全ての人に、共通している良い感情とは何か?」を考えてみた。
文明的好感=楽に、速く、美味しい等要は便利になる体で感じることである。
文化的好感=美しい、繊細さ、清潔さ、バランス等々心で感じるもであるが、それぞれ、見る方により、感じる度合いにバラツキがある。
然し、可愛いと思う感情には大きなバラツキは無く、万人共通の好感情が得られる。
これがプチ盆栽の魔力と考えられる。

四、入院

不摂生をしている割には、初めての入院である。
〇八年九月二四日(水)静岡県立がんセンター519号室入院手続き~病棟説明、入院注意事項等細かく説明を受ける。
比較的新しい病院であるため、設備もスタッフも若い近代的で素晴しい病院である。
然し、この病院の最も良いとこは、全ての患者ががんであり、入院者同士が気遣い無く会話が出来、経過等参考意見が多く聞ける。
医学語と異なる日常会話は、諦めていたものが少し勇気付けられ、結果はともかく大切なことである。
盆栽も可能な限り、日常会話で伝え様と心がけてきたのは間違いではないことが実感できた。
朝からの再検査結果に基づく最終的治療方法が決まった。更に抗がん剤の副作用防止剤において日米での投与量差検証のため行っている、臨床試験への参加要請があり、人の役に立つのであればと参加した。
九月二五日(木)抗がん剤治療開始。十時間三十分にわたり、抗がん剤二本を含む11本の点滴。事前に各所で、何回も受けた説明や資料の様な副作用は全く無い。体調はいたって良好である。
九月二十六日(金)同室の佐藤さん三回目の治療入院を退院。

この方は、私より一つ若い六三歳の大工さんである。
なかなかの豪傑であり、入院中にもかかわらず病院の庭園の植え込みの中で喫煙しているのである。
当初は病室で吸ったところ看護士に見つかってしまったので今は、庭園の植え込みの中が一番見つからないと真顔で訓えてくれた。
私も似たような者で肺がんと言われてからも少々は吸っていた。
然し、入院に至るまでの診察や検査を真剣に行う若い医師に対して、病院内での喫煙は失礼であるので我慢している。
仕事や盆栽に関しては、結構細かいことを云うといわれるもののその他の事項は、ズボラそのものである。

一日二〇本以上のピースを欠かさず、風邪を引いた酒を飲もう。
胃が痛いから酒を飲む。
痛風が出たから焼酎にしよう。
殆んど居間でそのまま寝る。
朝三時には、起床し、お茶をいれ盆栽小屋へ行く。
五時半位まで盆裁をいじり、朝食が出来る迄風呂に入る。
テレビと新聞を見ながら朝食をとる。
七時前、現役の時は、会社へ出発。
今は、盆裁小屋へ、十一時ごろ迄盆裁と過ごす。
昼食は、缶ビール一本とザル蕎麦を大根汁で食べ昼寝を午後一時半位まで、四時半まで盆裁と過ごす。
以後は、日本酒主体で夕食。
私はビールジョッキーで冷酒を飲む。
理由は、ジョッキーは、量が判り易く、冷酒は、酔いのさめる時間が長く、朝三時まで熟睡できるからである。
規則正しいと言われれば正しいと答える。

リズムは良いが、生活は褒められるものではなく、到底長生きが出来るとは思えない。
全国の盆裁愛好者諸兄に於かれては、私を反面教師とし、永く盆裁を楽しん頂たく様、強く希望します。

五、友より友

九月二十七日(土)入院4日目である。
計画通りに治療は進んでいる。
土曜日の午後で点滴が終わり、することは無く、インターネット等で潰す時間は点滴の時間と本質的には代わりが無いようである。
その点、盆裁にのめり込んでいる夢時間は、正に時速/一、五号鉢であり、好きなことをやっている時間の過ぎる速さが、瞬時であることを実感できた。
それに、思い浮かぶことの殆どは、盆裁のことである。
それも、挿したばかりのものや、根伏せをしたばかりものが思い浮かぶ。それは、私の盆裁に関わる反省にある。
四〇代までは、とにかく飾れる木を作ろうとの試行錯誤であった。
然し振り返ってみると盆裁仲間、即ち、自分の周りの盆裁人工が全く増加していないことに気付かされたのである。
自分が盆裁を始めた頃の小遣いの額、時間等を無視した盆裁にのめり込んでしまい自分よがりの盆裁をしていたのである。
これでは、自分が本当に楽しいと感じた大事な部分が欠如しており、盆裁は楽しい、私もやりたいには成るわけがない。
幸い、気付いたのが五〇歳の春でしたので、今から二〇年間(六〇歳代)は、素材を作りより多くの方に提供しよう。
より可愛く、より速くを念頭に今日まで来ました。

例えば、楊枝程の根伏せ素材、針金でフォローして一、五号鉢へ根上りに植え付け、ビニールポットで保護、発芽狙い部を三~五ミリ出して、細かめの植え土を根の部分に充分すき込み、肥料控えて育てると次ぎの年、実が成るのだからたまらない。
太めの木がお好きな方。三号鉢で実施して下さい。
同じ作業を行い、二年間肥培のみして下さい。
楊枝の太さが一〇ミリ以上になります。
三年目に植替え又根伏せを作ってください。
四年目には完全に根が癒着し、古色のある幹風情が得られます。
私の場合庭が狭いので一、五号で最初から最後まで小さく作っていました。
とにかく、普通捨てられてしまう二~三ミリの根や枝。
これが蘇るのだからたまらない。
細ければ細い程、創造の範囲は広く、創造の無限が実感出来る。
盆裁つくりとは、樹木の成長を活用する作業ですから、樹木の成長特性を観察し、より効率的に引き出すことにあります。
今まで十四年間の素材つくりで経験した事は、成長と創造の融合こそ、絵画や彫刻に勝る庶民芸術であり、自分は、芸術家ではないかと、錯覚する瞬間である。
ただ、盆裁好きな男が、一瞬だけでも幻覚に浸ることが出来た事は、それだけで盆裁をやってきた価値が充分にある。

さて、みなさん
後は、それぞれの持ち時間(寿命)である。
各自、天命はあるものの、私の様に、寿命放棄の生活はいけません。
元気で永く盆裁に浸って頂けます様、希望します。
然し、何れかは、人皆死に至るわけですので、願わくば、明日死が来ようとも動じぬためには、全身全霊を投じた取り組みが肝要と考える。

六、三人目の同室者

私の病室は、二人部屋である。
このがんセンターには、特別室、一人部屋、二人部屋の三種類が在る。一人部屋以上は、それぞれ三万円、一万円と別料金を要すが、私の場合個室に入るほどの事はないと。
二人部屋にした。今までの同室者は、年齢的に同年代以上であり「共に不摂生したのだから仕方がないね」と笑っていられた。
然し、今度の同室者は違う。
聞くも憚る若さである。
子供は上の男児が小学校生だろうか?女児は幼稚園年中年とのことである。
母親と共に父親の入院に付き添いである。今の子にしては大人しい好感の持てる子供たちである。
午後の3時過ぎだと思う、その子たちが帰る時間が来てしまった。
カーテン越しに、幼い娘がしくしくと泣いている。
抗がん剤投与のためか父親の声は聞こえぬが、母親がしきりになだめているが押し殺した泣き声は止まず、たまらず病室を出た。
家族だけにしてやろう。
せめて声を出して泣かせてやりたいと思ったからである。
通りすがりに見た娘は、泣きながら父親に置手紙を書いていた。
何十分かロビーにいると、母子三人が病室から出てきた。
目で送ろうと思ったが自然に近づき幼子の頭を撫ぜながら「がんばれ」と一言。

見知らぬ若い家族であるが、出来ることなら、私の余命を分けてやりたいと真に思う辛く、悲しい場面であった。暫く続くのかと思うと気が重い、出来ることなら同室は避けたい、個室へ移ろうか等と思い浮かぶ。
当事者に罪あるわけではない、しかも自分の後にも誰かが同室になる。
それは、この若い家族の居心地を阻害する様な人が同室になることも考えられる。
私が居よう。
当事者の苦痛は、私の比ではなく、少しでも力になってやるべきであり、私は、まだましだ。
何かあれば遠慮なく云いなさい出来る事は何でもやってやるよ。
と、声をかけた。
この機会に、全国の若い盆裁仲間に伝言させて頂きたい。
「いかなる手段をとっても良い、最低六十歳まで生きる努力をせよ」である。
私の様に毎年健康診断を実施していても、転移が早くて手術不可であるなら、年に2回検査をすればよい。
同じ町内の健康診断で肺がんの女性は、同じ九月二十四日に入院、私が五一九同室、女性は五一五号室。
十一日後の結果。
私は、二回目の抗がん剤治療後2日目、女性は。退院である。

どちらを選択するのかは、皆さんが決めることであるが、同室の様に不幸な若い家族がいる現実を見ると、盆裁を永くやりたいためではなく、せめて自分の子供が成人するまでは、生きる責任があることを痛感した。

ちなみに、CTは、一万円、造影剤を使用したCTは、三万円、MRIも三万円位の費用だった。
私の考えるのには、MRIを半年毎実施すれば脳から膀胱まで全てが判り、費用も年六~七万円位で実施可能である。
愛好者の皆さん、盆裁は、買うばかりではありません。
業者さんが買ってくれることも在ります。
私の場合も、人間ドック年二回分位は愛好者の方や業者さんにお譲りしていましたが、定年後、妻にタバコはやめて、外で飲むのは控えて、もし継続するのであれば盆裁を売って。
冗談半分の要請を受け、四年間盆裁を売り、タバコを買い続けた結果が今である。

八、伝承

仕事、趣味、遊び、何でも共通している事は、自分で研究開発し量産実績もあり、更に、水準向上の余地が想定されることは、このまま埋もれさてしまうのには忍びない。
さて、盆裁友達も結構多く居ますが、大別しますと。

①知識に富み審美眼の在る方ですが施行力に劣る方。
②この一作品に全身全霊を賭ける方。
③とにかく現状を改善(変更)しようとする方。
④同じことでも、皆と同じ様にできない方。
⑤依頼心が強く、自分でやらない方。
⑥固定概念に固執する方等々、

私を含め何れかに該当するのではないかと思います。
私のプチ盆裁を伝承して頂く条件とは何か考えて見ました。

①山野の環境保全の意識が高い。